文化・歴史

450周年記念:黒田九兵衛と加藤家の歴史(5)再び近江へ

水口城とそれ以降の時代

1682年加藤嘉明の孫の加藤明友が許されて幕府直轄領を得て2万石で近江水口藩を立藩します。当時は5代目黒田九兵衛直政の時代で、桑名藩久松松平家を辞し、加藤家に戻ります。九兵衛直政は御物頭(鉄砲大将)を拝命し、水口城北側の武家屋敷町の綾野に屋敷を賜ります。

2万石では家臣も少なく経済的にも豊かな藩ではないのでしょうが、何よりも二代目直次が仕えた加藤嘉明以来の主君なので喜びもひとしおであったと思います。奇しくも三代目九兵衛忠道が将軍家光の上洛の折に、行列の先発隊の指揮を任され、家光が宿泊した水口城の警備をその後、代々鉄砲大将や足軽大将として幕末まで務めることになりました。

この水口藩立藩の時代は、八代将軍吉宗の時代で世襲で採用されてきた役職(老中、若年寄、奉行)の腐敗を一新するために、従来にはない筋からの人材登用が行われました。その中で、5代目九兵衛直政も徳川幕府の旗印を管理する御旗奉行に登用されました。現在、私は室町期の関の短脇差と江戸中期の作の長脇差を所有していますが、長脇差はこの頃のものと思われ、鍔は江戸中期の金細工の名工奈良利寿の作です。現在は某公立博物館に寄託し保管してもらっています。

水口城は現在は滋賀県甲賀市の水口に城の一部の櫓とその石垣と堀だけが残っています。復元図形を見ると京都の二条城にそっくりという印象を持ちます。事実、京都の二条城も水口城も作事奉行は小堀遠州で優美で粋な城というイメージです。水口藩は実際には将軍の宿泊に備えて一の丸では執務を行わず、二の丸を使っていたそうです。その後も、戦もない平和な時代が続いたため武官の家である代々の黒田九兵衛はあまり仕事もなく、俸禄もやっと維持できる程度だったようです。水口藩加藤家は武門の家として知られていたため、水口城の他に、大阪加番を三度務め、その他に江戸や京都の警護も行っています。

織田信長や豊臣秀吉とは異なり、徳川家康は忍者を積極的に活用しました。水口から南の鷲峰山の方面には甲賀忍者や山を越えると伊賀忍者の里があります。伊賀忍者や戸隠流忍者は体術、風魔忍者は馬術や放火略奪などのイメージがありますが、甲賀忍者はまた別の印象を持ちます。家康はお庭番衆には服部半蔵などの伊賀忍者を使いましたが、江戸城からの脱出ルートや街道沿いには、甲州街道を含め甲賀忍者を配したとも言われています。多くは、草として土着したり、甲賀忍者が得意とする薬などを行商という形で全国を回らせ情報を収集するネットワークがあったのかもしれません。どちらかというと米国CIAのような諜報機関であったのかもしれません。家光以降は将軍が水口城に宿泊することはありませんでしたが、上洛前に情報を収集する拠点という役割もあったのかもしれません。

水口藩加藤家は譜代大名と同列で老中資格のある譜代格という格を与えられおり、江戸城の詰所では帝鑑の間です。

一度は会津騒動でお取り潰し寸前までいった加藤家がこれほどまでに厚遇された理由を、私は以下のように考えています。

  • 江戸初期における戦略的重要性:徳川家康は朝鮮出兵にも参加せず、また水軍ももっていませんでした。秀吉に代わって全国を治めるにあたって、加藤嘉明やその片腕の指揮官黒田九兵衛は戦経験が豊富で、徳川軍に経験不足の水軍と鉄砲を操れる貴重な戦力でした。
  • 三河出身で秀吉と家康の両方に仕えた武将は加藤嘉明だけ:三河一向一揆で父の加藤教明は出奔したとはいえ、その後、徳川に帰参し重臣となったケースは本多正信や渡辺守綱のように少なくありません。加藤教明は帰参こそしなかったが、家康とずっと敵対したわけではなく、加藤嘉明の働きもあってもともと譜代大名として扱われていました。家康は天才秀吉の政策の良いところは踏襲しています。秀吉と家康の両方に信頼され、それに応えた加藤嘉明は貴重な存在でした。
  • 於大の方との縁があったのではないか?:久松松平家とは特別にゆかりが深いように思わざるをえません。松山を去ったあとは久松松平家が松山藩主となり、会津を去ったあとも家光の異母弟の保科松平氏が会津藩主となり、石見藩降格時代には久兵衛が桑名藩久松松平家に世話になっています。久松家なのか、於大の方の実家の水野家なのかは分かりませんが、加藤家のこれらのつながりは於大の方の頃から形成されていたとしか考えられないのです。

その後の黒田九兵衛は6代目直嘉から11代目直尋まで、平穏に過ごし幕末を迎えます。近江の譜代大名たちは戊辰戦争では彦根藩も含め官軍に味方しています。薩長の東征に対抗するならば近江諸藩が一次の防衛拠点となるはずでしたが、やはり大政奉還の影響は甚大でした。いくら譜代大名であっても政権を返上してしまい、天皇が政権を持った以上は歯向かえば朝敵となってしまうからです。近江や伊勢、東海道沿いの諸藩は官軍の東征をゆるしていまいます。

明治以降の黒田九兵衛は12代目黒田完爾は水口県の軍事局に所属しました。1871年(明治4年)時点を記した水口藩加藤家分限帳では完爾が上士5等格で軍事局に所属した旨の記載が載っています。私が所有している長脇差は鍔を外し鞘に皮巻きをするなど拵えを西洋のサーベルのようにしています。明治政府は警察や軍隊の組織に際してフランス式を導入しました。サーベルを腰に下げるよう命令が出ていましたが、武士たちはか細いサーベルなどは刀ではないと反発し、鍔を外して拵えを変えるだけで日本刀を使い続けたそうです。事情を知らない私は、当初現在の刀鍛冶に拵えを含めて綺麗に飾るように依頼をすることを考えましたが、歴史の事実を保存すべきと考えて、現在はそのままの姿としています。

加藤家が子爵となり東京に転居すると、少なくない家臣が東京に移り住みました。黒田家も同様で、その当時に一緒だった浄土宗の一行院が黒田家の東京での菩提寺となっています。13代目黒田直道は同郷の巖谷小波に師事し、児童文学者黒田湖山として活動しました。巖谷小波は文部省唱歌「ふじの山」を作詞したり、日本昔ばなしのシリーズを創刊し、「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「こぶとりじいさん」などの民話を多くの少年に届けました。巖谷家は水口藩の藩医の家で、代々物頭を務めた黒田家と同格、藩医も鉄砲大将も城のすぐ近くで駆けつける必要があるため、近くに住み交流がありました。黒田湖山もジャングルブックの邦訳を出版し、同人結社の硯友社でともに活動しました。14代目の黒田道行は東京農業大学醸造学科初代教授を務め、現在200近くある日本酒蔵元の過半が同大学の醸造学科出身であることを考えれば、日本酒業界にいくばくかの貢献をできたものと考えます。

最後に

2023年は京極氏庶流の近江長浜黒田村の黒田九兵衛の家が再興して450年にあたります。木下藤吉郎が長浜城主羽柴秀吉となった時から黒田九兵衛が大和大納言秀長、そして賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明に仕えながら江戸時代を過ごし、明治・大正・昭和とつながります。この黒田家の系譜の記録が菩提寺から見つかったのはわずかに4年前でした。この黒田家系譜を検証すべく、水口藩加藤家文書や分限帳、松山の黒田霊社などを確認し、記録との一致の確認作業をここ数年間行ってきました。

賤ヶ岳七本槍の加藤と言えば加藤清正、秀吉に仕えた黒田と言えば黒田官兵衛。それぞれ肥後熊本藩主や筑前福岡藩主として大藩の外様大名が有名です。それと比べると加藤嘉明を祖とする水口藩は小藩で、黒田九兵衛も無名です。しかしながら、読み解くと豊臣政権や徳川政権を支えた重要な部将であることが良く分かります。黒田九兵衛も当時はトップシークレットの重要な任務を実直にこなし、加藤嘉明も九兵衛を指揮官としてうまく使いこなしながら水軍の将として名声を固めます。そして、朝鮮出兵をも経験した三河出身の譜代格の武門を誉とする藩として加藤家は江戸期を生き抜いていきます。その軌跡は功名に走るでもなく、やはり実直そのものの姿でした。

50年後の500周年に私は間違いなく生きていないので、無名な九兵衛の歴史と水口藩加藤家の歴史を公表することとしました。

黒田家は今井宗久や千利休とも交流し、また水口城を築いた小堀遠州とも縁があったと思いますが、文化よりは武を重んじていたため日本茶としての流儀が残っているわけではありません。ただ、日本茶のビジネスをしている茶師の16代目黒田九兵衛として、豊臣秀長美濃守の縁で美濃白川茶、加藤家水口藩の縁で京都宇治茶と近江朝宮茶、松平家の縁で静岡茶で450周年記念の日本茶製品の上市を予定しています。

美味しいお茶を飲みながら歴史の1ページに想いを馳せて頂ければ幸甚です。

十六代目黒田九兵衛 (2023年5月)

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